ど〜も…編集長の三谷です。趣味が高じて、ヘヴィメタルの元祖BLACK SABBATHの功績を世に広める広報宣伝、販売促進バンドBLOOD SABBATHとして社外活動中です。本欄では、敬愛するトニー・アイオミ先生のサウンドに近づくための研究や試行錯誤の日々を紹介しています。本家メンバーとのパイプも徐々に太くなりつつあります(嬉)。ライブハウスからお呼びが掛かれば日本各地はもとより、海外まで遠征しております。今年はアルバムを出すべくレコーディングをスタート。日々の研究結果はライブ会場に足を運ぶか、ホームページの映像をお楽しみください。http://www.bloodsabbath.com/

■某月某日

今月は特別編として、「アイアン・マン/トニー・アイオミ」より、序文を抜粋して紹介します。このような調子で、自身の生い立ちから、ブラック・サバスの結成前から現在までの軌跡が書かれています。興味のある方は書店、楽器店でお求めください。

ヘヴィメタル誕生

Introduction:The Sound of Heavy Metal

 (アイアン・マン/トニー・アイオミ 序文より)

1965年、17歳の私はその日で仕事を辞めることになっていた。15歳で学校を出て、そのあとは仕事を転々とした。配管工を3、4日、そのあとはゴムパイプを締めるためのリングをネジで作る単純作業をやっていたんだけど、そこで手を切ってしまってね。地元のバンドでギターを弾いていたので、楽器店で働き始めた。そこで店のものを盗んだと疑われた。私は無実だった。冗談じゃねえ。でも、倉庫の掃除を1日中やらされた。そのあと、板金工場で溶接工として働いていた時に大きなチャンスがやってきた。新しいバンド、ザ・バーズ&ザ・ビーズのヨーロッパ・ツアーが決まったんだ。と言っても、彼らとはライブをやった経験がなかったんだけどね。その前にいたロッキング・シヴォレーズがリズム・ギタリストを追い出して解散したから、オーディションを受けただけだ。私にとって最初の転機になったバンド、ロッキング・シヴォレーズでは、赤いラメのスーツを着てチャック・ベリーやバディ・ホリーのような昔のロックンロールを演奏していた。故郷のバーミンガム周辺では人気があって、定期的にライブをやっていたよ。そのバンドにいたおかげで最初の彼女ができたんだ。彼女の名前はマーガレス・メレディス。オリジナル・ギタリストの妹だった。

ロッキング・シヴォレーズは楽しかったけど、ザ・バーズ&ザ・ビーズとのヨーロッパ・ツアーは正真正銘、プロの仕事だった。板金工としての最後の日は金曜日だった。昼休みに家に帰って母に言った。

「もう仕事には戻らない。辞めたんだ」

母はこう言った。

「午後の仕事を終えて、きちんと辞めてきなさい!」

それで工場に戻ったんだ。いつも隣には金属板を機械で曲げて私に送る作業をしている女性がいて、彼女のところから運ばれてくる板を溶接するのが私の仕事だった。でも、その日は彼女が仕事を休んでいたので、私が彼女の仕事をやることになった。それは不安定なフット・ペダルのついた大きな裁断プレス機に金属板を入れ、ペダルを踏んでその巨大な工業用の機械で板を曲げるという仕事だった。

その機械を使うのは初めてだったけど、とりあえず順調に使いこなしていた。しかし、ヨーロッパ・ツアーでのステージに思いを馳せ、一瞬集中力が切れた時、「バン!」。機械が私の右手の上に落ちてきた。反射的に右手を引いたが、中指と薬指の先が切り落とされていた。私は自分の血がそこら中に流れていくのを見つめるだけだった。

病院に運ばれ、座らされ、袋に手を入れさせられ、そのまま放置された。出血多量で死ぬと思ったよ。親切な誰かが私の指をマッチ箱に入れて持って来てくれて、医者たちがそれを指にくっつけようとしたんだけど、時既に遅し。組織が死んでしまっていたんだ。彼らは私の腕から皮膚を取り、ちぎれた指先に移植し、皮膚がきちんとつくようにいじくり回した。

かくしてロックンロールの歴史が作られた。

と、人は言う。私が指をなくしたおかげで、ディープな低音のブラック・サバス・サウンドが生まれ、そのあとのヘヴィ・ミュージックの形を作ったと信じている人たちがいる。確かにそうかもしれない。切断された指の骨が直接、ギターの指板に当たるので、ギターを弾くのは地獄のように痛かった。だから、痛みから逃れるために独自のプレイ・スタイルを考案したんだ。そして、いつのまにかブラック・サバスのサウンドが独特のものになっていった。しかし、私の指がヘヴィメタルを作ったのか? それは言い過ぎだろう。

この物語を読んでくれればすべてがわかるよ。